コラム
2020年春に発表した陶彩画「託されし龍」は、その別れと旅立ちの季節に相応しい作品となりました。
若い龍は、鋭い眼でまっすぐ前方を睨み据え、逞しい脚に力を込め、傷のない美しい体躯をこれでもかとしならせて溜めの姿勢をとり、今まさに跳躍せんとしています。
それまで親龍に守られ導かれてきたであろう彼は旅立ちの時を迎えました。
水底のほの昏さに象徴されるように、その未来は穏やかで優しいばかりのものではないでしょう。それでも、その目に宿るのは不安や怯みではなく、覚悟と使命感、まだ見ぬ外の世界への高揚感です。
この若く雄々しい龍は、「あなた」です。
「託される」とは、誰かに指示された手順に従って役目を遂行することではありません。一切の裁量を責任と共に受け継ぐこと、すなわち、託された「あなた」が自ら選択し道を創り出してゆくのです。
「あなた」は、累々と続く先祖からいのちを引き継ぎました。糧となった数々の動物・植物からも、そのいのちを託されて、いま、生きています。また、先人たちの作り上げた歴史を受け継ぎ、様々な恩恵を受けながら、社会や組織を託されて生きています。
託されたならば、我が心・我が魂でしっかりと受け止め、存分にそれを享受し、その在り方を選択すればよいのです。
龍は、力強く自在に生きる者の象徴です。
怯んだり気圧されたりすることなく、託されたもの・ことをしっかりと受け止め、その素晴らしさを理解し意のままに生きること。それは、望み決意すれば即座に叶います。
心一つで「あなた」は龍になれるのだから、是非とも龍に憧れて欲しいと願いを込めたのがこの作品です。
背筋を伸ばし、畏れはすれども恐れることなく、希望をもって自分らしく。そう決意した「あなた」の姿が「託されし龍」なのです。
同時に、この作品は「託す」側に立つ「あなた」に贈るものでもあります。
「託す」という言葉から私たち草場工房スタッフが真っ先に連想するのは、陶彩画において大切な工程である窯入れです。どれほど精魂込めて下絵を描き、鉱物の組成に合わせ緻密に計算して水量や焼成温度を調整しようとも、ひとたび窯に入れればもはや作家(人間)の手は及びません。
作家 草場は、文字通り「火に託す」というプロセスを通して、己の執着を捨て、全てを手放し、かえって自由になり全てを得るということを学びました。
己の領分を悟り、領分においては粛々と本分を全うし、領分を越えれば徒に心惑わせることなく、後継を信頼し端然と手放す。「立つ鳥跡を濁さず」とは、飛び立った跡に余計な穢れや爪痕を残さないというだけでなく、時機を見定め未練なく飛び立つ心映えのことをも指すのではないかと思います。
「自分がやらなければ」「自分でなければ」
一見責任感の強さのようにも見えるその想いは、行き過ぎれば自分自身を不安に追い込むだけでなく若い芽を押しつぶします。あまり心配する必要はありません。かつて手を引いた子供も、危うげな足取りにヒヤヒヤした子供も、ヘマばかりするように見えた後輩も、皆いまや託される準備のできた龍なのです。多少の失敗はあってもきっと自分でなんとかするでしょう。「あなた」の前に立つ若い龍に信頼し、心安んじて委ねましょう。
陶彩画「託されし龍」は、作家 草場が長年追及し続けた龍作品の集大成とも言えるものとなりました。
ハリのある細かな髭や鬣、一枚一枚濃淡つけられ角度により青にも翠にもピンクがかった紫にも見える艶やかな鱗、キラリと光る鋭い爪、青光りするような眼。何度となく龍を描き続けたからこその「若さ」の表現です。
やや暗い場所で作品に向き合えば、工房のシグネチャーカラーともいえるイマジンブルーの背景の中、龍の体は秘めたエネルギーが溢れ出したかのように淡い燐光を放ちます。
これまでの研鑽を余すところなく発揮した繊細な筆致ゆえに気迫のこもった「託されし龍」。この作品が前途への祝福になることを草場一壽工房一同願ってやみません。
託された「あなた」が決然と、意のままに進んでゆけますように。
託す「あなた」が潔く、心穏やかに委ねることができますように。
草場一壽工房
若い龍は、鋭い眼でまっすぐ前方を睨み据え、逞しい脚に力を込め、傷のない美しい体躯をこれでもかとしならせて溜めの姿勢をとり、今まさに跳躍せんとしています。
それまで親龍に守られ導かれてきたであろう彼は旅立ちの時を迎えました。
水底のほの昏さに象徴されるように、その未来は穏やかで優しいばかりのものではないでしょう。それでも、その目に宿るのは不安や怯みではなく、覚悟と使命感、まだ見ぬ外の世界への高揚感です。
この若く雄々しい龍は、「あなた」です。
「託される」とは、誰かに指示された手順に従って役目を遂行することではありません。一切の裁量を責任と共に受け継ぐこと、すなわち、託された「あなた」が自ら選択し道を創り出してゆくのです。
「あなた」は、累々と続く先祖からいのちを引き継ぎました。糧となった数々の動物・植物からも、そのいのちを託されて、いま、生きています。また、先人たちの作り上げた歴史を受け継ぎ、様々な恩恵を受けながら、社会や組織を託されて生きています。
託されたならば、我が心・我が魂でしっかりと受け止め、存分にそれを享受し、その在り方を選択すればよいのです。
龍は、力強く自在に生きる者の象徴です。
怯んだり気圧されたりすることなく、託されたもの・ことをしっかりと受け止め、その素晴らしさを理解し意のままに生きること。それは、望み決意すれば即座に叶います。
心一つで「あなた」は龍になれるのだから、是非とも龍に憧れて欲しいと願いを込めたのがこの作品です。
背筋を伸ばし、畏れはすれども恐れることなく、希望をもって自分らしく。そう決意した「あなた」の姿が「託されし龍」なのです。
同時に、この作品は「託す」側に立つ「あなた」に贈るものでもあります。
「託す」という言葉から私たち草場工房スタッフが真っ先に連想するのは、陶彩画において大切な工程である窯入れです。どれほど精魂込めて下絵を描き、鉱物の組成に合わせ緻密に計算して水量や焼成温度を調整しようとも、ひとたび窯に入れればもはや作家(人間)の手は及びません。
作家 草場は、文字通り「火に託す」というプロセスを通して、己の執着を捨て、全てを手放し、かえって自由になり全てを得るということを学びました。
己の領分を悟り、領分においては粛々と本分を全うし、領分を越えれば徒に心惑わせることなく、後継を信頼し端然と手放す。「立つ鳥跡を濁さず」とは、飛び立った跡に余計な穢れや爪痕を残さないというだけでなく、時機を見定め未練なく飛び立つ心映えのことをも指すのではないかと思います。
「自分がやらなければ」「自分でなければ」
一見責任感の強さのようにも見えるその想いは、行き過ぎれば自分自身を不安に追い込むだけでなく若い芽を押しつぶします。あまり心配する必要はありません。かつて手を引いた子供も、危うげな足取りにヒヤヒヤした子供も、ヘマばかりするように見えた後輩も、皆いまや託される準備のできた龍なのです。多少の失敗はあってもきっと自分でなんとかするでしょう。「あなた」の前に立つ若い龍に信頼し、心安んじて委ねましょう。
陶彩画「託されし龍」は、作家 草場が長年追及し続けた龍作品の集大成とも言えるものとなりました。
ハリのある細かな髭や鬣、一枚一枚濃淡つけられ角度により青にも翠にもピンクがかった紫にも見える艶やかな鱗、キラリと光る鋭い爪、青光りするような眼。何度となく龍を描き続けたからこその「若さ」の表現です。
やや暗い場所で作品に向き合えば、工房のシグネチャーカラーともいえるイマジンブルーの背景の中、龍の体は秘めたエネルギーが溢れ出したかのように淡い燐光を放ちます。
これまでの研鑽を余すところなく発揮した繊細な筆致ゆえに気迫のこもった「託されし龍」。この作品が前途への祝福になることを草場一壽工房一同願ってやみません。
託された「あなた」が決然と、意のままに進んでゆけますように。
託す「あなた」が潔く、心穏やかに委ねることができますように。
草場一壽工房