制作背景
平和と調和を求めて~新作「鵬」に託す思い
●荘子の「鵬」、視座の転換がもたらす解放
『荘子』の冒頭「逍遥遊(しょうようゆう)」篇に登場する「鵬(ほう)」は、北の海の巨大魚「鯤(こん)」が変化した途方もない大きさの鳥です。その背中は何千里あるか知れず、ひとたび羽ばたけば九万里もの高空を突き抜けて、南の海へと飛翔していきます。
この圧倒的なスケールに対し、地上のヒグラシや小さなハトたちは、「あんなに高い空へ行って何になるのか」とあざ笑います。
荘子はここで、目先の損得に縛られる生と、無限の自由を生きる生のあり方の違いを表現しています。地上の小さな生き物のように、損得勘定や世間の常識、他人の評価に囚われている限り、人は常に焦燥感や争いから逃れられません。
「鵬」が南天の海へ向かって羽ばたく「図南の翼(となんのよく)」とは、人間が自己のそうした矮小な枠組みを破ることで、宇宙的な広がりを持った「絶対的な精神の自由」へ至るステップなのです。つまり、荘子はここで、人間の絶対的で無限の自由は「可能である」と言っています。執着を手放し、天と地を結ぶような高い視点に立つこと。それが荘子の目指す境地であり、それは私たちが求めて得られるはずのものでもあります。
●セドナの長老が語った予言、コンドル、イーグル、ケツァルの統合
一方、4月にセドナで参加した先住民の長老たちによるギャザリングの核は、彼らが代々語り継いできた予言でした。「コンドル、イーグル、ケツァルの統合」です。
それぞれが象徴するのは、
コンドル(南米・大地の精神、直感、感受性、女性性の象徴)
イーグル(北米・高度な知性、科学技術、物質文明、男性性の象徴)
ケツァル(中米・高貴な美、神秘、霊性、調和の象徴) です。
人類の歴史において、これら異なるエネルギーや文化を象徴する鳥たちは、それぞれ別々の空を飛び、時には対立するなどして、分断されてきました。しかし、いよいよ新しい時代が到来し、これらすべての鳥たちがひとつの空を共に飛び、互いの力を認め合いながら平和と調和の時代を迎える(むろん、人類のことです)というのです。
これは、私たちいわゆる現代人が築いた物質文明と先住民がいまも守り続ける伝統的な精神文明の出会いと再統合であり、男性性と女性性の調和であり、そして世界中の多様な文化や人間が、このマザーアースに暮らすひとつのファミリーとして手を取り合う「真の平和」の比喩にほかなりません。
●「空の王者」たちが現代に伝えるメッセージ
荘子の「鵬」も、セドナの長老が語る鳥たちも、「圧倒的な高みから世界を俯瞰する存在」です。
地上の次元、つまり私たちが普段暮らしているところには、国境や人種、宗教、ものの考え方、あるいは個人のエゴや利害関係による争いやいがみ合いが絶えません。
しかし、荘子の言う九万里の上空から見れば、地上の境界線など一本も見えません。いえ、もとよりそのようなものはなかったのです。
すべては一つの大きな地球の営みであり、宇宙からはじまったひとつのいのちのつながりです。
セドナの長老が語った「コンドル、イーグル、ケツァルがひとつの時代になる」という予言は、荘子が「鵬」の飛翔を通して描いた世界観と深く共鳴しています。私たちが日々の不安や憎しみ、分断の意識から抜け出し、より高い意識へと自らを引き上げるとき、真の平和の時代が現実のものとなります。
「鵬」が南天の海へ向けて大空を駆けていったように、鳥たちがひとつの空を舞う未来が語られたように、私たちが生きるこの世界も、大きな変容の時を迎えています。この変容は外から訪れるのではなく、個々の内のありかたにかかっています。
損得や不安や疑心暗鬼を手放し、心の中に「図南の翼」を広げるとき、自分自身の内側から、「調和と平和」を創造していくことができるのです。
セドナで長老から告げられた言葉は、未来へと「託された」思いですが、共通のいのちをわけあった私たちの胸にいまも深く刻まれた記憶でもあります。
さあ、豊かな翼を広げて、大空へともに――高く、高く・・・調和と平和を求めて。