制作背景
●トヨタマヒメとは
『古事記』や『日本書紀』に登場する豊玉姫(トヨタマヒメ)は、海の神様の娘であり、有名な神話「海幸彦・山幸彦(うみさちひこ・やまさちひこ)」に深く関わる女神です。
子供の頃に読んだり聞いたりした「海幸彦・山幸彦」の物語を覚えていますか?
兄の海幸彦は、海で魚をとるのが得意で、弟の山幸彦は、山で鳥や獣をとるのが得意でした。ある日、弟の山幸彦が互いの道具を交換しようと言います。兄はしぶしぶ釣り針を弟に貸しました。ところが、山幸彦は魚を釣っているうちに、大切な釣り針を海の中に落としてしまいます―。
弟の山幸彦は、釣り針を探して海の底にある神様の宮殿へたどり着きます。そこで海神の娘であるトヨタマヒメと出会い、二人は恋に落ちて結婚します。やがて地上へ戻ることになったとき、トヨタマヒメはお腹に子供を宿していました。
夫のあとを追うようにして人間の世界へやってきたトヨタマヒメですが、子どもを産むときに、夫にひとつだけ約束を求めました。「産屋(子どもを産む場所)の中を決して覗かないでください」。しかし、不安や好奇心に負けた山幸彦が約束を破って中を覗いてしまうと、そこには龍の姿になって苦しみながら子どもを産む妻がいました。
自分の正体を見られてしまったトヨタマヒメは「もう人間の世界にはいられない」と、生まれたばかりの子どもを置いて、海の門を閉ざし、海の底へと去っていってしまいました。
彼女が産んだその子は、のちに日本の初代天皇である神武天皇へとつながる血統の源となり、トヨタマヒメは神武天皇の祖母という位置づけになります。
●なぜ「トヨタマヒメ」か?
神話が象徴しているのは、「海=自然や神聖な世界」と「陸=人間が生きる現実の世界」という、2つの世界の境界線です。彼女の名前の「タマ」は、豊かな魂や命の輝きを意味しています。人間には理解できない野生や自然のエネルギーに満ちた彼女が、約束を破られて去っていく姿は「自然の厳しさ」と同時にそれでも「命を次へつないでいくことの気高さ」を物語っているかのようです。
「見てはいけないと言われて見られてしまい、いなくなる」という展開は、『鶴の恩返し』など日本の昔話だけでなく世界中の神話にもよく出てくる定番のモチーフです。
人間の世界で一緒に暮らせるのは、正体を隠している間だけです。人間が「本当の姿を知りたい」「すべてを自分の目で確かめたい」と踏み込んでしまった瞬間、そのバランスは崩れ、大切なものは消えてしまいます。
「人間の「目」で見るものばかりを信じてコントロールしようとすると、自然の恵みや本当の神秘といった、いちばん大切なものを失ってしまう」という、メッセージを伝えているのかも知れません。本質的な愛がそこにあったにもかかわらず、巨大なサメの姿という異形の姿に惑わされ、真実を取り逃がしてしまった・・・と。
畏怖という言葉があります。人間の謙虚さを表した言葉ですが、科学が発達したいまやなにものも恐れるものはないと思い込みがちです。むしろ、怖れるべきはAIだと言いますが、そこに「畏怖」や「畏敬」はありません。
セドナの地で先住民の長老たちと言葉を交わしたとき、私は深く胸を打たれる体験をしました。彼らは、人間が自然をすべて支配し、理解し尽くそうとする傲慢さを戒め、目に見えない大いなるものや、決して言葉や理屈では割り切れない自然の摂理に対して、畏敬の念を持ち続けて生きています。
「敬うべき領域」を守る彼らの世界観に触れて、私のなかで日本の神話に息づく記憶が蘇りました。
表面的な美しさや優しさの裏に、底知れぬ自然の激しさや野性を隠し持ち、それでも愛と命を未来へ結ぼうとしたトヨタマヒメ。矛盾に満ちたこの世界で生きる人間の深淵と、自然への畏敬の思いを、この女神の姿に託して描きました。
『古事記』や『日本書紀』に登場する豊玉姫(トヨタマヒメ)は、海の神様の娘であり、有名な神話「海幸彦・山幸彦(うみさちひこ・やまさちひこ)」に深く関わる女神です。
子供の頃に読んだり聞いたりした「海幸彦・山幸彦」の物語を覚えていますか?
兄の海幸彦は、海で魚をとるのが得意で、弟の山幸彦は、山で鳥や獣をとるのが得意でした。ある日、弟の山幸彦が互いの道具を交換しようと言います。兄はしぶしぶ釣り針を弟に貸しました。ところが、山幸彦は魚を釣っているうちに、大切な釣り針を海の中に落としてしまいます―。
弟の山幸彦は、釣り針を探して海の底にある神様の宮殿へたどり着きます。そこで海神の娘であるトヨタマヒメと出会い、二人は恋に落ちて結婚します。やがて地上へ戻ることになったとき、トヨタマヒメはお腹に子供を宿していました。
夫のあとを追うようにして人間の世界へやってきたトヨタマヒメですが、子どもを産むときに、夫にひとつだけ約束を求めました。「産屋(子どもを産む場所)の中を決して覗かないでください」。しかし、不安や好奇心に負けた山幸彦が約束を破って中を覗いてしまうと、そこには龍の姿になって苦しみながら子どもを産む妻がいました。
自分の正体を見られてしまったトヨタマヒメは「もう人間の世界にはいられない」と、生まれたばかりの子どもを置いて、海の門を閉ざし、海の底へと去っていってしまいました。
彼女が産んだその子は、のちに日本の初代天皇である神武天皇へとつながる血統の源となり、トヨタマヒメは神武天皇の祖母という位置づけになります。
●なぜ「トヨタマヒメ」か?
神話が象徴しているのは、「海=自然や神聖な世界」と「陸=人間が生きる現実の世界」という、2つの世界の境界線です。彼女の名前の「タマ」は、豊かな魂や命の輝きを意味しています。人間には理解できない野生や自然のエネルギーに満ちた彼女が、約束を破られて去っていく姿は「自然の厳しさ」と同時にそれでも「命を次へつないでいくことの気高さ」を物語っているかのようです。
「見てはいけないと言われて見られてしまい、いなくなる」という展開は、『鶴の恩返し』など日本の昔話だけでなく世界中の神話にもよく出てくる定番のモチーフです。
人間の世界で一緒に暮らせるのは、正体を隠している間だけです。人間が「本当の姿を知りたい」「すべてを自分の目で確かめたい」と踏み込んでしまった瞬間、そのバランスは崩れ、大切なものは消えてしまいます。
「人間の「目」で見るものばかりを信じてコントロールしようとすると、自然の恵みや本当の神秘といった、いちばん大切なものを失ってしまう」という、メッセージを伝えているのかも知れません。本質的な愛がそこにあったにもかかわらず、巨大なサメの姿という異形の姿に惑わされ、真実を取り逃がしてしまった・・・と。
畏怖という言葉があります。人間の謙虚さを表した言葉ですが、科学が発達したいまやなにものも恐れるものはないと思い込みがちです。むしろ、怖れるべきはAIだと言いますが、そこに「畏怖」や「畏敬」はありません。
セドナの地で先住民の長老たちと言葉を交わしたとき、私は深く胸を打たれる体験をしました。彼らは、人間が自然をすべて支配し、理解し尽くそうとする傲慢さを戒め、目に見えない大いなるものや、決して言葉や理屈では割り切れない自然の摂理に対して、畏敬の念を持ち続けて生きています。
「敬うべき領域」を守る彼らの世界観に触れて、私のなかで日本の神話に息づく記憶が蘇りました。
表面的な美しさや優しさの裏に、底知れぬ自然の激しさや野性を隠し持ち、それでも愛と命を未来へ結ぼうとしたトヨタマヒメ。矛盾に満ちたこの世界で生きる人間の深淵と、自然への畏敬の思いを、この女神の姿に託して描きました。




