制作によせて
陶彩画「鯤」
内なる宇宙を拓く~創造的な飛躍のために~
「鯤」は、紀元前300年頃の中国古典『荘子』に登場します。北の果ての海「北冥」に棲み、計り知れない大きさから人智を超えた存在とされる、含蓄の深い伝説の巨魚です。寓話の中で鯤は、無限の巨大さと記されると同時に、極小の存在としても描かれます。そこに表現されているのは、宇宙という大きな世界も、素粒子のような極小さな世界も、突き詰めれば「境界なき無限の宇宙」であるという思想です。
本作品で鯤を「宇宙を孕んだ姿」として描いたのは、生命の源泉、すなわち、私たちの内面を広大な世界として表現したものです。宇宙を孕むとは、個々の存在そのものの中に宇宙が広がるということ。自分自身の存在意義を肯定し、内なる探求に踏み出せば、人もまた無限の可能性そのものになります。また、鯤は、変革と飛躍の象徴でもあります。物語において、鯤はやがて巨大な鳥「鵬」へと姿を変え、南冥という南の海へと飛翔します。北冥という暗黒の静けさの中で育まれた潜在力が、臨界点を迎えて光となり、未知の世界へと解き放たれてゆくのです。
荘子の時代から数千年、人類は宇宙の謎を追求し、素粒子の世界を観測しています。情報過多な現代社会で外部からの刺激にさらされ、自分自身の内面を見つめる機会を失いがちな一方で、科学の探求によって、私たちの認識の境界は広がり続けています。科学の進歩が真理に迫ると同時に、人間の精神性や意識の「深化」によって、その真理への理解も深まるようになります。鯤が深い海から無限の天へと姿を変えて舞い上がったように、私たちの奥深く、意識の底に眠る真の創造性や可能性が解放されているのです。鯤の寓話は、こうした科学と精神性の両面からも、無限の可能性を追求する人類全体の進化を象徴しているのかもしれません。
この作品が、皆様にとって「内なる鯤」と向き合うきっかけとなりますように。
内なる宇宙を拓く~創造的な飛躍のために~
「鯤」は、紀元前300年頃の中国古典『荘子』に登場します。北の果ての海「北冥」に棲み、計り知れない大きさから人智を超えた存在とされる、含蓄の深い伝説の巨魚です。寓話の中で鯤は、無限の巨大さと記されると同時に、極小の存在としても描かれます。そこに表現されているのは、宇宙という大きな世界も、素粒子のような極小さな世界も、突き詰めれば「境界なき無限の宇宙」であるという思想です。
本作品で鯤を「宇宙を孕んだ姿」として描いたのは、生命の源泉、すなわち、私たちの内面を広大な世界として表現したものです。宇宙を孕むとは、個々の存在そのものの中に宇宙が広がるということ。自分自身の存在意義を肯定し、内なる探求に踏み出せば、人もまた無限の可能性そのものになります。また、鯤は、変革と飛躍の象徴でもあります。物語において、鯤はやがて巨大な鳥「鵬」へと姿を変え、南冥という南の海へと飛翔します。北冥という暗黒の静けさの中で育まれた潜在力が、臨界点を迎えて光となり、未知の世界へと解き放たれてゆくのです。
荘子の時代から数千年、人類は宇宙の謎を追求し、素粒子の世界を観測しています。情報過多な現代社会で外部からの刺激にさらされ、自分自身の内面を見つめる機会を失いがちな一方で、科学の探求によって、私たちの認識の境界は広がり続けています。科学の進歩が真理に迫ると同時に、人間の精神性や意識の「深化」によって、その真理への理解も深まるようになります。鯤が深い海から無限の天へと姿を変えて舞い上がったように、私たちの奥深く、意識の底に眠る真の創造性や可能性が解放されているのです。鯤の寓話は、こうした科学と精神性の両面からも、無限の可能性を追求する人類全体の進化を象徴しているのかもしれません。
この作品が、皆様にとって「内なる鯤」と向き合うきっかけとなりますように。
