制作に寄せて
草場の神話シリーズを締めくくるのは国常立命(クニトコタチノミコト)、天地開闢の際に出現した最初の神々のうちの一柱です。
「国=国土、人の住む大地」「常=恒常性」「立=現象の確立」から、人の生き様が末永く続く様を見守る神、いわば地球を擬人化した神様です。一説には、地球の創成に深く関わった金色の龍神の人型であるともいいます。
力ある土着の神であったがゆえに、その支配を嫌った渡来人たちによって、鬼門とされる艮=東北に封印され、「艮の金神」として恐れられるようになりました。瀬織津姫の夫神とも言われるニギハヤヒも国常立命の別名であるという説がありますが、いずれも歴史の中から消され、長らく祟り神とされてきた古い神です。
人間の生活を豊かにしようとする時、自然の豊かさはしばしばそれと引き換えにされます。例えば、森を焼かず・山を壊さず・水を汚さずという考え方は、経済の発展を目指すときには目の上のたん瘤にされがちです。ですが、生活が便利になったからと言って必ずしも幸福が約束されるわけではなく、気が付けばなんだか辛い、苦しい、寂しい。それでももっと豊かな生活をと求めずにはいられない…それが自分を縛る封印ではないでしょうか。それと引き換えに人が忘れてしまったものが、本当の豊かさに繋がるものであり、国常立命そのものだったような気がします。
とはいえ、陶彩画「国常立命」に込めたものは、自然懐古主義的な主張ではありません。
煩わしいと思っていたものともう一度向き合い、「和解」するきっかけになりたいという願いです。ジブリ映画『もののけ姫』に登場する祟り神(自然の象徴モノノケが人への恨み・憎しみに囚われた姿)たちが、祟り神になる前は誇り高く義理堅い姿であるように、忌み嫌っていたものの中にも美しいもの、素晴らしいものが確かに存在するのです。
自分自身が囚われていた思い込みをリセットするとき、忘れていた美しいものと再び出逢い、新しい生き方が始まります。押し込めていた自分自身の嫌な部分との和解、本当はやりたかったこと、或いは嫌いだと思っていたものとの和解。それは、不都合なものを封印することで綺麗なストーリーを形作っていた過去を「神話」としてしめくくり、新しい未来への「物語」を今度は一人一人の手で紡いでゆくようなものです。
その門出への祝福を込めて、草場の陶彩画神話シリーズの終幕に――