コラム
「龍の玉 如意宝珠」は、新たな試みとして蓄光素材を陶彩画に焼きこむ技法の研究によって制作しました。蓄光素材は、光を吸収して蓄え暗闇でエネルギーを放出し光るという仕組みにより、明るいところでは見えなかったものが暗くすることで、可視化できるようになります。
この素材を用いて作った「如意宝珠」は、明るい部屋では鮮やかな色彩の作品ですが、部屋の電気を消すと突如、如意宝珠(龍の玉)が現れるという仕掛けです。
蓄光素材に興味深いものを覚えたのは、私たちの生命エネルギーのように肉体はなくなっても魂は残る、与えていただいた愛は形を変えてあり続ける、というまさにいま私がテーマと感じていることそのものだからです。
見えるものだけを追いかけていては、本当に大事なものは見つからない。私たちの中に刻まれた「いのち」の記憶もまた、見えはしないけれど、確かにあること、その大いなる意味を今一度実感として取り戻したい、そんな思いも込めています。
さて、龍が追いかけている(握っている)玉を如意宝珠といいます。読んで字のごとく思いや願いを意のままに叶える力があります。では、それはどこにあるのでしょう?
自分の願いを意のままに叶えてくれるのは、カネや権力だと思うのは現代の幻(錯覚)です。カネや力で叶う願いは果たして、大いなる意志(いのち)に沿ったものでしょうか?
天意(いのちの働き)のままに私が誕生しました。なにも持たず、非力な姿で、泣き声をあげながら、世界に抱き留められて誕生したのです。宇宙開闢から始まった大いなる物語の主人公のひとりとして。私がいることで、物語は進行します。私は完全の一部であり、私はまたひとつの完全ないのちです。
探すから見つからない龍の玉。
私(あなた)が龍であり如意宝珠(龍の玉)であることを、秘められた光の中に読み解いていただければ幸いです。
この素材を用いて作った「如意宝珠」は、明るい部屋では鮮やかな色彩の作品ですが、部屋の電気を消すと突如、如意宝珠(龍の玉)が現れるという仕掛けです。
蓄光素材に興味深いものを覚えたのは、私たちの生命エネルギーのように肉体はなくなっても魂は残る、与えていただいた愛は形を変えてあり続ける、というまさにいま私がテーマと感じていることそのものだからです。
見えるものだけを追いかけていては、本当に大事なものは見つからない。私たちの中に刻まれた「いのち」の記憶もまた、見えはしないけれど、確かにあること、その大いなる意味を今一度実感として取り戻したい、そんな思いも込めています。
さて、龍が追いかけている(握っている)玉を如意宝珠といいます。読んで字のごとく思いや願いを意のままに叶える力があります。では、それはどこにあるのでしょう?
自分の願いを意のままに叶えてくれるのは、カネや権力だと思うのは現代の幻(錯覚)です。カネや力で叶う願いは果たして、大いなる意志(いのち)に沿ったものでしょうか?
天意(いのちの働き)のままに私が誕生しました。なにも持たず、非力な姿で、泣き声をあげながら、世界に抱き留められて誕生したのです。宇宙開闢から始まった大いなる物語の主人公のひとりとして。私がいることで、物語は進行します。私は完全の一部であり、私はまたひとつの完全ないのちです。
探すから見つからない龍の玉。
私(あなた)が龍であり如意宝珠(龍の玉)であることを、秘められた光の中に読み解いていただければ幸いです。