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2020.10.01

作品紹介「月読」

カテゴリー:作品・グッズ

月読に寄せて

水をよごさず
森をこわさず
土をけがさず

そして
あること(being)のつながりと
あること(being)の喜びのために

――― わたしたちの生が意味をなすために。

◆環境を、いのちから。
そして「いのち」を原点から考えるときです。

●いまも問い続ける「豊かさとはなにか」

人が思い、考え、働き、休み、笑い、泣き、嘆き、歓び、ひとりで、ふたりで、大勢で、孤独に、ともに、実生活を、精神生活を営む。
その営みがありふれたものであろうと、美しいものであろうと、ただ、自己完結で終わることはありません。
自然の中で生かされている限り、全体というひとつの世界で生きている限り、どんなときも、ともに生きているものたちの生とつながっているのです。

図らずも環境破壊を促すことになった経済システムとそれに依拠する生活を転換させなければならない、という大きなテーマを持ちながらも窮したままです。市場経済システムはすぐれたものとして社会をけん引し、暮らしは豊かになりました。しかし、経済の偏重により人間を含む自然が限界を迎えようとしています。
豊かさとはなにか・・・もう長い間、この問いにはっきりとした答えを出せずにいます。世界がグローバルにつながったことも要因でしょう。また、政治や経済、個々人の生活が大きな改革を迫られることにより、なにかを手放さねばならないという恐れもあります。経済以外の「豊かさ」を描けないのかも知れません。

しかし、二極化、格差の拡大などと言われるように、幸福のよりどころとしての豊かさが色あせてきたようでもあります。いえ、そもそも私たちは「幸福」とはなにかの答えを確固として持っているのでしょうか。

これらはみな人間の事情です。人間だけの事情・・・ですが地球という生命体を巻き込んでしまっています。やはり、考えねばならないのです。

待ったなしと言われながら半世紀が過ぎてしまいました。病んだ地球はどこまで、いつまで、私たちを許してくれるのか。私たちの大切な子供や、その子供、その子供=希望と未来は、閉じられてしまうのだろうか。焦燥感が募るばかりです。多くの人が同様なジレンマにあるようです。
それを見事に表現したのが「この時代に生きる私たちの矛盾」と題された次の一文です。

●この時代に生きる私たちの矛盾

ジョージ・カーリン(1937~2008)というアメリカのコメディアンが最愛の妻を失ったときボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、友人に送ったとされるメールだそうです。

「この時代に生きる 私たちの矛盾」

ビルは空高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 得る物は少なく
たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている
家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても センスはなく
知識は増えたが 決断することは少ない
専門家は大勢いるが 問題は増えている
薬も増えたが 健康状態は悪くなっている
飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で テレビは長く見るが
祈ることはとても稀である
持ち物は増えているが 自分の価値は下がっている
喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 人生を学んではいない
長生きするようになったが 長らく今を生きていない
月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えない
世界は支配したが 内世界はどうなのか
前より大きい規模のことはなしえたが より良いことはなしえていない

空気を浄化し 魂を汚し 原子核を分裂させられるが 偏見は取り去ることができない
急ぐことは学んだが 待つことは覚えず
計画は増えたが 成し遂げられていない
たくさん書いているが 学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く 体は大きいが 人格は小さく 利益に没頭し
人間関係は軽薄になっている
世界平和の時代と言われるのに 家族の争いはたえず
レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない
夫婦でかせいでも 離婚も増え 家は良くなったが 家庭は壊れている

忘れないでほしい 愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ
忘れないでほしい すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 1円もかからない
忘れないでほしい あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを 心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は 傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい もう逢えないかもしれない人の手を握り
その時間を慈しむことを

愛し 話し あなたの心の中にある かけがえのない思いを 分かち合おう

人生はどれだけ 呼吸をし続けるかで 決まるのではない
どれだけ 心のふるえる瞬間があるかだ

●意識変革を経験

ホリスティック(全体、つながりに目を向け)でエコロジカル(自然や環境との調和)な視点で世界を見つめなおそうという運動は70年代からありました。とくに、科学の分野から起きたことが、現代社会の歪を象徴しているようにも思います。世界規模の危機=全生命の絶滅の危機に相対するものとして提言されたのですが、科学とは相反するものとされた宗教や神秘主義の視点に似て、これまでの世界観、価値観を覆えす(パラダイム・シフト)ものでした。これまでの生き方、在り方に大きな疑問符がついたと言えます。
日本も80年代から徐々に「豊かさ」というものが考え直されるようになりました。ひとつの流れとして、私たちは一度「意識変革」「価値観の転換」を経験しているとは言えないでしょうか。

●お金に換算するという習性

~大切なものはお金にしないほうがいい。お金に換算しないほうがいい。

自然環境の価値や自然災害の損失がお金換算されることは珍しい事ではありませんが、やはり、そのたびに納得がいかない思いをします。
たとえば数年前の環境省の発表は、自然環境の経済価値を試算することは、実感しやすい金額という指標を示すことで、国民に自然環境の価値を再認識してもらう、とあります。
例にひかれていた湿原は、レクリエーション場の提供という価値で年994億円、水質浄化の価値で年3779億円、動植物の生息域提供で年1800億円・・・。
(参照:http://rief-jp.org/ct5/54680)

何百億、何千億というのが実感しやすいものかどうか・・・。動植物が年に1800億円払えないなと、つい笑ってしまします。
代替のないもの(大事なもの)をお金に換算するということに、やはり違和感があります。大切なものはお金で勘定にしないほうがいい、が率直なところです。
戦争特需、という言葉もあります。朝鮮戦争によって日本経済は戦後の不況から脱した、と社会科でも習いました。ベトナム戦争もやはり戦争特需というのはありました。逸失利益の計算では、事故などでなくなった人の「生産的」な価値が所得額で表れます。
社会にはそういう側面が確かにあり、方法論ではありますが、生きる人間という意味においては、大事なものはお金の勘定に入れてはいけないのです。自然もまた、お金に換算できると考えるのは人間の傲慢さでもあるでしょう。

●あなたがいてくれて幸せ!

doingとhavingから、beingという全き価値へ

人間の意識には、潜在意識(無意識)と顕在意識(表面意識)の2種類があります。潜在意識は、無意識というだけあって、普段は意識することのないものです。
対して、顕在意識とは、普段生活する中で意識するもので、思考や選択、意志という形で現れます。
この顕在意識の価値判断で、日常を送っているのですが、顕在意識の価値としては大まかに、doingとhavingがあります。なにができるか、なにを持っているかが現実生活の中で大きなウエイトを占めています。
しかし、doingよりもhavingよりも大きな価値要素であるもの、最も重要ともいえるのが、being=「存在」です。あるだけで、ありのままで。そんなふうに言い換えることができます。なにをしたか(行動)なにをもっているか(所有)よりも、在るという丸ごとの人間性で、絶対的な価値を認めるものです。

ところが思い返してみてください。子供のころから、私たちが褒められるのは、勉強を頑張った(doing)とか、いい学校に入った(having)という条件付きが多いのです。大人になっても変わりません。成果を上げた(doing)、部長になった(having)、と、doingとhavingで評価されます。存在としての絶対的な価値を認められることがないまま育つと、物質的な豊かさを幸せだと勘違いしてしまいます。すると、doingとhavingがうまくいかなくなったときに自分の存在価値が分からず、自己否定に陥ってしまいます。

あなたがいるだけで嬉しい。生まれてきてくれて幸せ。これがbeing。こんな言葉を、生涯で何度も聞くことができるひとは幸せです。doingとhavingの手段としてのbeingではありません。条件は不要。
そして、beingで考えることこそが、共生です。人間同士だけでなく、環境全体に対してもそうであるのが、いきるものの自然な姿ではないでしょうか。
あなたがいてくれることが、幸せ! それがbeing。

◆同じ根っこの問題です。

●やはり突き付けられる、どう生きるか。あるいは、「豊かさ」とは。

「豊かさとはなにか」。いまも、直面している問いかけです。
なぜ、この問いが大きな意味を持つのでしょうか。
まず、幸福の定義も幸福の根拠もいまだ定かではないからです。戦後30年、「豊かな」国はひたすら経済を発展させてきました。人々は「豊か」になりました。この恩恵と引き換えに「幸福」を失っていたとしたら、いったい「豊かさ」とはなんでしょう。
市場経済は倫理観や文化的なものの見方、考え方から解放されてひとつの価値観(勝ち組・負け組のような)を作り上げましたが、人の暮らしや生き方が、それに準じていいのだろうか。自然にとっての豊かさとは多様性のことなのに、人間の豊かさは自然の豊かさを破壊してはいないか・・・ひとつの問いは複雑に絡み合った世界を物語るものです。

環境を筆頭に、多くの問題を抱えた経済至上主義からシフトするには、ものの見方を変え、世界を、いのちという大きな視点でとらえなおすことであると問いかけは私たちに迫ってきます。
誰かが何かをしてくれる・・・という段階ではない現在、意識変革は以前にもまして求められているのです。

●政治への懐疑

公の場の議論が、現在は公人による私的関心事になっているように感じることがあります。「個人」の利益が公の顔をしています。公共の利益という意味が公平な国民の利益とは異なるようです。
また、現代社会が現状を維持していくために環境破壊の危険や格差といった矛盾を抱えている中、その対処は個々人に課せれていることも多々あります。
生活の失敗も「自己責任」であるとなれば、社会や国家はなにを保証してくれるのでしょう。
それが、本当に、私たちの選択したことでしょうか。

◆芸術家としての提言

●私たちには、「縄文」という知恵の姿があります。

私は、縄文土器の制作を通して、縄文という時代が平和で豊かであったのだと結論しました。縄文土器は模様も構造も複雑でかつ個性的。制作には大変時間のかかるものですし、宇宙や生命というとてつもなく世界観が表現されています。弥生式の土器が実用的で効率的なのと対照的です。
たっぷりの時間と遊び心、自由なイマジネーションがあってこそ生まれるものだと実感しました。
その背景は、第一に戦い(戦争)がないこと。そして環境が多様であったこと。自然の恵みに大きないのちを見出し、大自然を理解することがまさに生の営みであるという暮らしを送っていたこと・・・。
「自分の存在をもっとも自由に表現しえたもの、自由感のもっとも豊かなもの。それが、すぐれた作品」。岡本太郎が縄文に強く惹かれた理由は、この言葉にもよくあらわれていますが、その自由や、芸術の可能性を支えてくれるのが、平和だったり、愛だったりするのではないでしょうか。技術力、感性、才能・・・その大元である「存在」を保証する、平和と愛。それを求めるから、どんな環境にあっても芸術家は創造するのです。

●生き方こそ創造的に!

しかし、創造とは芸術家の特権ではありません。私たちが最も創造的であるべきなのは生き方であり、生活です。人生こそは、私たちの創造すべきものです。自由に、恐れも不安もなく、イキイキと。

不安と妄想が渦巻く現代、いまさらながら、確固としたものを個々が心に築かねばならないときです。
生きている、それが幸せ!であるような Beingの喜びに満ちた世界にむけて、一緒に考えていきましょう。

◆みんなで考えれば、道はみつかりますね

未来をいのちから考えようという活動は、実験的なものも含めて、様々にあります。地道にエコロジカルな活動を続けている人たちとその賛同者。リーマンショックや東日本大震災、そして今回のコロナショックを機に生き方が変わったという人たち。結果的に、ものに執着させてしまった高度経済成長を経験しなかった若い世代。

あるいは、個々の心に抱く理想。思いやり。未来に希望を見出したいという素直な思い。
そして、この現実に感じる息苦しさ。自己矛盾の葛藤。それらがすべて、力です。

だから、あきらめることはありません。みんなで考えれば道は見つかるはず。悲観より、楽天的に模索していきましょう。

そして今一度

水をよごさず
森をこわさず
土をけがさず

あること(being)のつながりと
あること(being)の喜びのために

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