結び

結び イザナギ・イザナミ

イザナギ、イザナミが現代に伝えているものは何か?
30 年以上、神話世界に向き合い続けた草場だからこそ見える芳醇なる世界があります。

神話が語っている

2019 年、令和の時代に突入し、どのような時代 になるのか、神話を巡って考えてみました。

神代の時代、まずはじめに出てくるのがアメノミナカヌシという「見えない」神様です。この、見えないというところがすごく重要で、見えない神様がどんどん出てくるのです。タカムスビノカミ、カミムスビノカミ……。

私たちが生きるこの世界には、物を造化する目に見えない働きがあるということは、科学の世界、現代物理学の量子力学が証明していますが、それと非常に符合しています。
その「見えない神様」の世界から、最初に「見える」神様として形を現されたのがイザナギ、イザナミです。
この二神が国を産んでいき、現象というものを起こしていきます。

国産みをする時、立派な神様をお産みになるまでにはいろいろなことを試み、様々なことをやられます。
そして、皆さんがご存知のように、「私にはあまっているところがあって、あなたには足りないところがある、それを合わせてみよう」ということになります。これを私はまぐわい、性の儀式なのだろうとずっと思っていたのですが、これこそが「和合」であり、ここに「大調和」の大きな鍵が示されていると気づきました。
「ワンネス(oneness)」を理想とする人たち は、「みんな同じで、一つだ」と思いがちです。しかし、「ワンネス」の世界が、実はどういうふうに創られているのか。それは互いに違うものが組み合わされ、一つの大きな「和合」の世界=「大調和」の世界が成り立っているのです。
「ワンネス」とは全体のことであり、全体とは「違いの集合」にほかなりません。神話には、そういうメッセージが込められているのではないかと思うのです。みんなが「それぞれ、違う」ということを認識することの大切さを伝えていると思うのです。

これまで歴史の中では、「俺がこうだから、お前もそうだろう」という主張が繰り返されてきました。「私の正義が世界に通用する」「私の答えが正しい」と誰もが思っているのです。そうではなく、「みんな、違うのだ」ということを理解して初めて結び合え、「和合」や「調和」が生まれる。そういうことが神話の中で示されている、と私の中で腑に落ちたのです。
「今こそ、それを描かなければ」と思い立ち、今回『結び イザナギ イザナミ』という作品を創らせていただきました。

人は本来、生まれ育った環境や積み重ねた経験によって、価値判断や視点がそれぞれ違うわけです。この「違う」という当たり前のことを忘れて、「みんな同じだ」と思ってしまうところに、争いや諍いが生じたり、孤独感に陥ったりと、問題が起きてしまうわけです。
「われこそは正義」「私の神様が絶対正しい」と主張し、戦争が繰り返されています。人間の脳の構造や癖がそういうふうにさせているのです。

しかし、そもそも正義とは何か。誰にとっての正義か。
価値判断や視点が人それぞれに違うということを理解しないと同じテーブルにはつけません。理解して初めて同じテーブルにつけ、手を結ぶことができるのです。

人それぞれ違う視点、観点を持っているから、実は同じものも違って見えている、ということを意識し合って、そこから結んでいけば理解の上に立った強い絆となり、この世界にも平和=調和が生まれるはずです。そういうことをイザナギ、イザナミの神話は語りかけている気がします。

この令和の時代はそれぞれの違いを理解し、そこから生かしあう方向へと共に向かって世界を創っていかなければいけないのです。

「キミ」と「ムス」

戦後、私たちは国歌「君が代」の歌詞の内容(意味)について誰からも教わりませんでした。学校教育では、音楽の教科書の最後のページに「君が代」が載っているだけです。今もそういう状況のままです。

この「君が代」の原典は『古今和歌集』にあります。「君」というのは、憧れの女性であったり男性であったりしますが、当時はとても大切な人のことを「キミ」と呼んでいました。

イザナギとイザナミの、最後の音を足すと「キミ」になります。「和合」した男女、社会を構成する二つの違いが「和合」した形を、1300 年前には「キミ」と呼んでいたのではないかと思うのです。だから、君が代も「高砂」と同じように、祝い唄としてずっと歌われていたのではないでしょうか。

そして「君が代」は、「千代に八千代に  さざれ石の巌となりて  苔のむすまで」と続き、
「ムス」という言葉が出てきます。タカムスビノカミ、カミムスビノカミの中にも出てくる「ムス」という大事な言葉。

もち米を蒸気でムシたら、柔らかく食べられるようになります。このように新しいものが誕生するということが「ムス(生す・産す)」なのです。
だから、男の子が生まれれば「ムスコ」であり、女の子が生まれれば「ムスメ」です。

「和合」して命を繋いでいったら、ムシてくる。そこには目には見えない神、タカムスビノカミ、カミムスビノカミの働きがあります。男女の中のことだけでなく、私たちの世界にもあるのです。

違いというものを理解して、しっかり結びをしていくことが、これからの時代に必要なのです。
よく、「多様性」という言葉が使われますが、いろんな違う考え方や思想があって当然です。生い立ちも違うし、生活習慣も違う人たちの集まりなのですから。
それを認識した上で、みな、「いのち」という一つの大きな流れの中にいることを自覚してこそ、初めて「和合」し、「大調和」という理想の世界が現れるのではないか、 と思います。

「淡路結び」と「大調和」

イザナギ、イザナミが国を産んだ時、最初に誕生した島は、「淤 お 能 の 碁 ご 呂 ろ 島 じま 」と神話に記されています。
これは今の「伊 い 奘 ざ 諾 なぎ 神 じん 宮 ぐう」が鎮座している淡路島だと考えられています。

私は『結び イザナギ イザナミ』の中で、鉾の先に結んだ紐を描き込んだのですが、これは「淡路結び」と呼ばれる結び方です。熨斗袋に使われたり、お祝いの時に使われる水引の一つで、かなり古くからあるもので、麻糸で作られていたそうです。

欧米なら「リボン結び」にあたるのですが、「リボン結び」は両端を引っ張れば解けてしまいます。しかし、この淡路結びは、両端を引っ張るとどんどん締まっていき、結び(絆)がより強くなっていくのが面白いと思いました。

そして、この「淡路結び」は、二つの丸が結ばれことで、もうひとつの丸が生まれるつくりです。つまり三つの丸からできているのです。二つの世界が結ばれて、そこから新しい世界が生まれるということを象徴しているようで、非常に興味深く、鉾の先に描かせていただきました。

神話というものはどの国にもあって、「これは現実なのか、本当の歴史なのか」とみなさん考えるのですが、私にとって、それはどういうことでもいいことです。

アーティストとして哲学していくことは理性優先の世界とはまた別個であり、囚われなく神代からのメッセージを感覚的に受け取り、創造のエッセンスとしてインスパイヤされるのです。そういう意味でも、日本の神話は素晴らしいものです。

想像力を持てば、どこまでも本質に近づけるところに『古事記』をはじめとする、数々の神話の面白さがあると思うのです。古代から続く、私たちの感性の中に「ある」はずのものの再発見でもあります。

今回の作品『結び イザナギ イザナミ』は、男女のまぐわいで国を産むという神話から、それぞれの違いを理解し、「結ぶ」ということで「和合」「大調和」の世界が生まれるという気づきを表現させていただきました。
「結び イザナギ イザナミ」にひとつの詩を添えました。

 

ことなり の ことわり

和合なり
互いに欠けのありてこそ
むすびとなって
いのちが生まれ

互いに違いのありてこそ
理解となって
知恵が生まれる

万物は異なりあって
からみあい
つながりあい
響きあい
おおいなるひとつの中に  ざわめきあう (いのちの声の豊かさ)
大調和なり

豊饒なるかな
ことなり の ことわり

結びて開き 開きて結ぶ (麗しきこの世界)

 

(雑誌「和合」34号抜粋)

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