2022.02.01
作品紹介「サラスヴァティー」
カテゴリー:作品・グッズ
サラスヴァティーはヒンドゥーの女神ですが、日本では七福神の中の弁財天として親しまれています。手にヴィーナと呼ばれる弦楽器(琴)を抱いていることから、芸術を司るとも言われていますし、弁が立つことから学問の神様とも言われています。
インドの古いヴェーダ(聖典)によると聖なる川=サラスヴァティー川の化身とされ、そこから「流れ」出るもの=言葉や知識、音楽(芸術)などを象徴しています。(また、「サラスヴァティー」とはサンスクリットで「水(湖)を持つもの」の意味であることから、水と豊穣の女神であるともされています。)
さて、私がサラスヴァティーを陶彩画のモチーフにしたときのテーマは「響き」でした。もちろんヴィーナの調べそのものも「響き」ですが、あらゆるものが「響き」によって出現したと考えるからです。私の考える「響き」をほかの言葉に代えてみます。宇宙、こころ、こだま、言葉、たましい、いのち・・・。まさにヴェーダに描かれた「流れ」であり、現象の本質といえるものですが、共振、共鳴という意味合いを込めて「響き」としました。
私たちが世界を見るというとき、認識を通しての現象界=見える世界のことを言います。つまり、物質としてあらわれた世界にすぎないと思うのです。では、本当の世界は何だろうと考えて、「物」を突き詰めていくと、10億分の1メートル以下の分子の世界となり、この分子を割ってみると電子殻があって電子が回っている。それをまた割っていくと10のマイナス19乗ミリ以下と言われている素粒子の世界があります。「物」と私たちが一言で言うその中には、宇宙のような無限ともいえる空間が広がっているわけです。単に物体に見えるものも、実際は超高速で動いている=波動(エネルギー)の世界です。それが響き合って、現象=世界を創り出しているのです。目に見える「物」の世界に囚われて、現象に一喜一憂しては右往左往し、結果的にまた現象を引き寄せているのが人の姿のようです。
日本には古代より「言霊」という概念があります。言は事に通じることから、言葉には現象をつくる霊力があると考えられてきました。インドではいまもサンスクリット語は生きた言葉ですが、この古語も言霊に似た信仰を有していると言われます。現代の科学がようやく到達したところをはるか昔の人々は直感的に知っていたのでしょうか。あるいは、確かなものとしてインプットされていた真理を、私たちがいつの間にか忘れてしまったのかも知れません。
私たちは、直接的な経験ではないことでも、たとえば、海の匂いに懐かしさを覚えたり、星のまたたきに遠い日を思ったりと・・・
魂の奥深いところで知っているものがあることに気づきます。響き合うものたちに囲まれて、まさに自分自身が共振しているからです。
世界を単に現象(物質)で考える時代の歪みにも限界がきたように思います。産業や技術の発展のみが人間の幸せではないことにも気づきました。私たちはまだ、人間とはなにか、いのちとはなにか、幸福とはなにかという大きな課題を抱えたままです。
自分という存在、世界のありよう。そんな根源的なところからいまいちど再考すべきときがきたようです。自分の内なる声に耳を傾け、本当に求める世界を我が身に問うときです。それが現象を生じさせ、万物は響き合うのですから。
「私」は小宇宙であると同時に、響くもの=大宇宙なのです。天にも地にも満ちるヴィーナの調べであり、サラスヴァティーそのものです。
草場一壽
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サラスヴァティー
全てはこれ音にして
ものたちは
響きあう
あるという
その一点で
いまという
ときのさなかで響きあう
瞬いている
原初の光景
鳴り響く
いのちの旋律
ああ、なんといういとおしさ
なんというるわしさ
ものたちは
響きあう
遠い日の調べの中に
遠い日の夢を夢見て
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