DS2号大日如来

大日如来

 
「大道無門」
 こんな言葉あるのですね。
文字を眺めていると、なんとなく意味することが(おぼろげながら)見えてきます。大きな道には門がない。開け放たれているのです。
 道(悟りへの道でしょうか。幸福とも読みかえられそうです)には門がないのだから、
どこからでも自由に入れますよ。特定の道を行けば悟りや幸福に至るというものでもないのですよ、とも。
 
では、いつでも門は開いているのに、なぜ不自由なのでしょう。
むしろ・・・確かな障壁があれば、そこを登ることを目指せばいいのですが、目印(門)がない。

そう、門は外に見えるのではなく、自分の中にあるのですね。それぞれが心の内に持っている。
だからどこからでも入れるし、いつでも誰でも入ることができるという、逆説的な教えのようです。
 

自分の内こそが絶対自由(の境地)であり、自在性を外に求めても空しいということでしょう。
 

自らの内側を見ることよりも、外ばかりを見て動いてきたことが、深刻な問題を生み出しています。
そして、人はみな生まれながらに、見るもの、感じるものが違うのにもかかわらず、
誰もが自分の経験を判断基準にして、ひとつの「門」を定めようとするので、争いがあったり、
孤独があったり、困ったことが起きてしまうわけです。
 

人それぞれに、自分の内に自在の門があります。そこに向かって精進していくだけでしょうか。
 

陶彩画家 草場一壽

 

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