Philosophy

制作風景

さて、私は陶彩画を通して、「託す」ということを学びました。最後の段階で、窯の火に「託す」のです。我がものでありながら、我が手が届かない。手が届かないのですから執着に意味がありません。託しきるしかないのです。私がいのちを吹き込んだ世界ながら、最終的には託す=放つ。「自在」とは、手放すということでもありました。
求めて叶うものではなくとも、求めなければ叶いもしない。祈ってできるというものではありませんが、祈りの果てにはまぶしいばかりの煌めき、輝きが現れます。一期一会の火の仕事です。

なぜ、作るのか。

芸術は、完全や完璧という終わりのない世界です。黄金色に輝きながら海に沈んでいく太陽。その神々しさは、あるいは完璧と呼べるでしょう。しかし、人の手によるものには完璧はありません。精進だけが、わずかなりとも近づけるかもしれないという道のりです。
見てくださる方々に喜びを感じていただけるような作品づくりに精進していきます。それが生きる力の一助となれば、幸いです。

Mission

「おとな」の姿を指し示す。

世の中に満ちている「疑心」「疑念」。子供たちのお手本であるはずの大人たちの、滑稽ともいえる言動。社会はとても疲れていると感じます。
現代人は、あまりに知識に傾き、目に見えるものに価値を置きすぎてしまいました。バランスを失っています。
仏教に「目で聞き、耳で見る」という言葉があります。聞こえた声の底を見なければわからない、見たものの発する声まで聞かねばわからない、そういうことでしょう。自分を忘れて、相手と一緒になる、または自分のこととして受け取る・・・。通り一辺倒ではなく、全身全霊をかけて受け入れる、慈悲、慈愛の姿を表現したものです。
人の感受性もしかりです。それぞれの器官ではなく、全身で受け取るのが感受性です。
目に見える世界など、私たちの内側に比べると、実に小さなものです。私たちは、在るということですでに完成された奇跡の存在です。
子供たちは「憧れ」を種に夢を育てていきます。憧れたものと一体になりたいと思います。石に憧れれば石にもなります。仏に憧れれば仏にもなります。そういう憧れの対象となるような大人として、人の心(感受性)がいかに豊かで果てがないかを仕事を通して伝えていきたいと思います。

what is TOSAIGA

作品
      1

イマジンブルー、青への探求。

原点は、イマジンブルーと名付けた「青」の世界です。
染付の基調は青ですが、この枯淡によって独特の味わいが出てきます。焼き物の世界だけでなく、昔から芸術家は海や空から生まれた青に惹かれてきました。青は、永遠であり、いのちであり、神秘、記憶、覚醒・・・。青に導かれて、まだ見ぬ色へのあこがれが、情熱となって、技法や技術の開発となりました。

作品
      2

心の内側から、芸術体験を。

魂の震えを体験してもらうこと。素直な情感として「美しい」と感じていただくことがお役目だと思っています。多くのアートが、見てくださる、触れてくださる人の希望や生きる励ましになることを目指しています。
特に陶彩画は、菩薩や観音という慈愛の世界、龍や鳳凰、不死鳥などの力強い躍動感にあふれた世界、コノハナサクヤヒメ、アメノウズメノミコ、スサノオなどの神話の世界・・・と、絵画自体が独自の世界観を持ち、それを焼き物とすることで「奇跡」と称される輝きを生みます。輝きは、人間の良心や悟りを開きたいという願いと共振する力を秘めています。

作品
      3

ホスピタルアートとして。

欧米では早くから、芸術が癒しに効果があると考えられてきました。生命体には自己(自然)治癒力が備わっているというのは、医療の現場でも広く受け入れられている考え方です。
では、どんなとき生命力は高まるのでしょう?美しいものに触れて感動する、生かされていることに感謝する、そういうポジティブな感情が現れたときです。
苦しみの中にも、ポジティブな感情は沸き上がります。悲しみの中でこそ人は光を求めます。その自然な感情を心の奥から引き出ような、深く魂に語りかけるようなものを制作することが使命でもあります。
陶彩画の光が、生きる力の発露となりますようにと願いながら。